介護期の記録は、家族のためでもある
犬のために書いているつもりが、途中から自分を支えるものになります。
介護が始まると、記録の意味が変わります。
それまではその子の健康のために書いていたものが、途中から自分と家族のためのものになっていきます。
感覚が、あてにならなくなる
これが最初に起きることです。
夜に起こされ続け、片付けが増え、通院が増える。その状態が続くと、判断が狂います。
- 毎晩ずっと鳴いている気がする → 記録を見ると、週に3回だった
- 何も食べていない気がする → 半分は食べていた
- どんどん悪くなっている気がする → 3週間、横ばいだった
事実が分かるだけで、少し呼吸ができます。
そして逆に、本当に悪くなっているときも、記録があれば分かります。感覚では「いつもと同じ」に見えても、数字は動いています。
家族に、状況が伝わる
介護は、特定の一人に寄ります。そして、その人がいちばん疲れています。
世話をしていない家族には、状況が見えていません。「そんなに大変なの?」と言われて、余計につらくなることがあります。
記録を見せると、それが一度で終わります。
「今月、夜中に起こされた回数は18回」「1日に5回、粗相の片付けをしている」
数字は、説明よりずっと強い。そして、交代を頼む根拠にもなります。
診察が、変わる
介護期の通院は、変化を伝える場になります。
「なんとなく悪くなっています」では、先生も動けません。
「2週間前から、夜中に起きる回数が2回から4回に増えました。食事は半分残す日が週3回。体重は先月から200グラム減っています」
ここまで言えると、その場で手が打てます。薬を変える、検査をする、家での工夫を提案してもらう。
判断の材料になる
これは書くのがつらい話ですが、避けられないので書きます。
介護が進むと、いくつかの判断を求められる場面が来ます。治療をどこまでやるか。入院させるかどうか。
そのとき、感覚だけで決めるのは、とても苦しい。
- この1か月で、何日いい日があったか
- 食べられた日は何日か
- 痛がっていた日は何日か
記録があると、「いま、どういう状態なのか」を落ち着いて見られます。
決めるのは相変わらずつらいことですが、根拠があるかないかで、あとの受け止め方が変わります。
一行でいい
介護期は、忙しく、そして疲れています。詳しく書く余裕はありません。
一行で十分です。
「今日はよく寝ていた」「夜2回」「半分食べた」「久しぶりに自分で立った」
いいことも書いてください。悪いことばかり並ぶ記録は、読み返すのがつらくなります。
いい日を、書いておく
これは実感として、いちばん大事かもしれません。
介護の記録は、放っておくと「できなくなったこと」ばかりになります。
でも、いい日は必ずあります。食べた日、立てた日、しっぽを振った日、よく眠れた日。
それを書いておくと、あとから読み返したときに、その子の最後の時間が「つらかった日々」だけにならずに済みます。
見送ったあと、消さないでください
最後に、これだけ。
記録を消してしまう人がいます。見るのがつらいから、という理由がほとんどです。
でも、消したものは戻りません。
うちも1匹目を見送ったあと、しばらく写真すら見られませんでした。それでも何年か経つと、見られるようになります。そのときに残っていてよかった、と本当に思いました。
見られるようになるまで、しまっておけばいい。
体重のグラフも、夜鳴きの回数も、「今日はよく寝ていた」の一行も。あとから見ると、全部その子がそこにいた証拠です。
ⓘ 一般的な情報の提供であり、診断や治療の助言ではありません。気になる症状があるときは、記録を持ってかかりつけの獣医師にご相談ください。
Wandary はひとこと日記に一行だけ残せます。積み重なった記録は、あとから消さずに閲覧だけできる形で持っておけます。